令和4年1月24日 午前
大正区のまち歩き
大正区の歴史を語る会 代表 金城宗治講師
大正区民会館1ホール設置の大正区立体地図を見ながら講師から説明を受けました。
区民のおよそ4分の1が沖縄県出身者というリトル沖縄・大正区、日本で初めての紡績工場「大阪紡績三軒家工場」が1883年に操業され、そこに「女工」として沖縄の女性たちが、多く就業していました。
1923年には大阪木材市場が長堀から小林の地に移転され、沖縄の農村部から輩出される労働力を吸引する労働力が存在したということが
その理由と思われます。
戦前:1879年までは「琉球王国」(日本とは別の国家)
「職工募集、ただし朝鮮人・琉球人お断り」という張り紙さえありました。この履歴書、誰に書いてもらったか。沖縄の人間なのに、漢字が書けるのか?などの差別を受けたことも多いようです
戦後:父や母から「ウチナーグチ(沖縄語)は家の外ではつかうな」と戒められていました。
講師の体験談を通してのお話しを聴きながら、大正区のまち歩きをスタート・・・・
昭和山 麓の具志堅幸司さんの記念碑をみて昭和山 山頂まで登った、見晴らし良好でした。
大正区の中でもっとも沖縄色がよく出ているサンクス商店街を散策、周辺にも沖縄料理のお店がたくさん見受けられます。
路地を歩けば門構えに魔除けのシーサーが設置、南国情緒に満ち溢れていました。
午後 テーマ 大正区歴史を語る会
沖縄人として日本人を生きる「異和共生」社会を目指しての講義。
沖縄文庫 金城 馨 講師
「大阪に来た沖縄の人は仕事に就けず、アパートも借りられなかった。出身が分らないよう名前を日本風に変えた人も」
明治政府が日本に組み入れた琉球王国。 経済恐慌で大阪に出稼ぎに来た人が言葉や生活慣習の違いから受けた差別、本土防衛になった太平洋戦争、今も集中する米軍基地・・・・・・・。
沖縄の歴史を客観視できる大正区からは「日本との関係がよく見える」と話す金城さん(異なる文化を)理解できようができない差別していけない。
世代交代、世のうつり変わりしても後世に事実を語り伝えたい。 講師のレジメより引用致しました。
「エイサー祭り」は2万人にのぼる来場者が、エイサーに限らず、空手やクイチヤ―、マミドーマ等の沖縄の伝統工芸や沖縄料理といった様々な沖縄文化に触れることができる、大正区を代表する大きなお祭りの紹介。
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