119日  

午前  テーマ 「知ってるようで知らない大阪、難読地名」

午後  街歩き「大阪の英雄 中村勘助と大正区の歴史」を訪ねて

                            大阪を面白くする会代表 沖本 然生 講師

難読地名 地形の起源は、地質・地形・自然環境「自然地名」政治・産業・宗教・文化「人名地名」等から

由来する。それらの要素が複雑に混じり合い、もつれにもつれた地名もある。大阪は古代から連綿と続く

歴史の街である。地名は古代の謎を解き明かすこととなる。世代、時代を越えて継承されてきた地名は文化

遺産である。地名をきっかけとして、是非とも大阪の街の歴史的価値知っていただき親しんでほしい。

十三・放出・紫島・立売堀・靭本町・茨田・杭全・喜蓮瓜破・遠里小野・御幣島・住道矢田

 

皆さん、いくつ読めますか 




午後  街歩き「大阪の英雄 中村勘助と大正区の歴史」を訪ねて 

午後13時 大正公園集合 園内の三軒家石碑からスタート →大正橋津浪碑松筒自動車学校跡地

近代紡績工業発祥の地百済橋跡上八坂神社→ 15時大正駅ゴール解散

大正区は、秀吉の時代に三軒家は3軒の民家敷かなかった時代 木津勘助(中村勘助)によって開発され、勘助島と呼ばれていました。江戸時代にも 北村六右衛門 岡島嘉平次 平尾与左衛門 などにより開発は進められ、江戸時代後期には新田開発によりほぼ現在の形になりました。区内の地名は開発に携わった人々に由来するものが付けられています。 (北恩加島 南恩加島)

大正橋は「大正区」のネーミングのもととなった橋です。橋の欄干を五線譜に見立てベートーベン作曲の交響曲

の「歓びの歌」デザインされていて、歩道にはメトロノームとピアノの鍵盤が刻まれています。 

橋は大正4年に完成しました。木津川に大正橋がかけられ、島ではなく陸続きになった住民らはたいそう喜んだそうです。

安政大津波石碑 嘉永7年(1854年)大地震による大津波の被害甚大でした。その模様を記録し後生に対する戒めを伝える。大阪市指定有形文化財

近代紡績工業発祥の地、大阪紡績会社(東洋紡績)が作られ、東洋のマンチェスターと呼ばれるきっかけとなりました。

松筒自動車学校跡地 大正8年(1919)開設。日本の自動車学校の草分け的存在、車の時間貸しも行い、これが日本のレンタカー始まりとも。2000年に閉校しました。

百済橋跡 かつてこのあたりは難波島と呼ばれ、江戸初期の大坂の名所案内『芦分船』には難波につづきたる所也、川の一部が埋め立てられたさいに廃橋になりました。

上八坂神社の境内には、罪を覚悟で御用米を奪い餓鬼に苦しむ難民を救ったという地元のスーパーヒーロー中村勘助さんの石碑があります。彼は木津川の開発に尽くした人物。

現代 同区は川や海に囲まれていたためそれを利用した材木市場 自動車工場 製鉄所 造船所などが作られ、阪神工業地帯の重工業集積地に姿を変えていきました。

大正区というと、渡船と沖縄料理のイメージしかなかったのですが、いろいろな歴史があることを初めて知りました。特に大正橋の第九の音階のデザインと安政大津波石碑が印象に残りました。

蒸し暑い中1万歩、歩きました、お疲れ様でした。